江戸時代の末期の嘉永年間、伊豆韮山代官「江川太郎左衛門英龍(坦庵)」は日本を外国の攻撃から守る必要性を幕府に訴え、韮山に反射炉(世界文化遺産韮山反射炉)を設け大砲を製作するかたわら、若き農夫を集め、彼らを兵力とするためその訓練に力を注いでいました。農兵の調練は韮山代官所(現在の三島市役所の場所)で行われました。文久年間に幕府は江川氏の農兵調練の実益を認め、制度として法令を定め、大いに農兵の調練に当たり、三島調練場で行われた農兵の訓練では志気の鼓舞と団結を図るため、部隊の先頭に鼓笛隊が組織されたと言われています。この故事にあやかり、当時東海道筋で流行していた「ノーエ節」を「農兵節」として、昭和初期に平井源太郎によって現在の農兵節が作られました。そして全国に知れわたる「三島農兵節」となり、三島の代表的な民謡として三島夏まつりには欠かせないものとなっています。
出典:一般社団法人三島市観光協会様HPより
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